<放送からの抜書き>

【限界集落】

 先月14日に発生した岩手・宮城内陸地震では、中山間地の集落が大きな被害を受けました。この岩手・宮城内陸地震に限らず、最近の中越地震や能登半島地震などでも、中山間地や過疎地に存在する小規模な集落が大きな被害を受けています。こうした被害を受けて、過疎地の小規模集落の防災のあり方が厳しく問われるようになっています。こうした小規模な被災集落の多くは、高齢化と人口減少化のなかで、日常的にも共同体としての機能維持をはかることが困難になっていることから、一般に限界集落と呼ばれています。そこで今日は、この限界集落の防災の問題を考えてみます。
 さて、地震などによる大災害は、社会が潜在的に持っている諸矛盾を、一挙に顕在化します。災害によって、社会が抱えている弱みやひずみがあぶりだされる、ということです。13年前の阪神・淡路大震災でも、高齢化が進んだ都市社会の問題点が露呈しました。それと同じように最近の災害では、高齢化が進んだ限界集落の問題点が露呈している、といっていいでしょう。
 そこで中山間地などの小規模集落の持っている弱みとしての災害危険性について考えて見ましょう。その第1は、河川の氾濫や山地の崩壊などの災害リスクの高い場所に存在している、ということです。第2は、道路の損壊や情報の途絶で地域的に孤立する危険性が高い、ということです。第3は、人口減少や高齢化が進んでいざというときの助け合いのマンパワーが不足する、ということです。
 さて問題は、こうした小規模集落あるいは限界集落の災害危険性にいかに対処するか、ということです。最近の論調を見ていると、限界集落は時間の流れのなかでいずれ消滅していく存在なので、あえて山間僻地などでの延命措置をとらない方がよい、集落移転や集落統合さらには集落解消によって安全確保をはかるべきだという、意見が強くなっています。ところでこの意見は、正しいのでしょうか?
 この意見は以下に述べる「2つの独断的な思い込み」に支配されており、必ずしも正しくないと私は思っています。その1つは、高齢化の進んだ集落を、存続不可能な限界集落と決め付ける思い込みです。事実、高齢化が進んでいても、居住者相互の助け合いや集落相互のネットワークによって、持続的発展の活路を見出しているものが少なくありません。他の1つは、危険地帯に位置する集落を、対策不可能な危険集落と決め付ける思い込みです。危険地帯にあっても、伝統的な防災の知恵や高度な防災技術を生かして、危険性回避の活路を見出しているものが少なくありません。
 私は、存在の必然性や公共性のある集落については、こうした思い込みをすて、その存続と再生に心がける必要がある、と考えています。存続の是非を、危険性と経済性だけで論じるべきではない、と思うのです。危険な地域あるいは不便な地域であるにもかかわらず、今までそこに集落が存在していたのには、それなりの理由や必然性があるのです。私は、その理由は「かけがえのない暮らし」と「かけがえのない公共性」にあると考えています。
 かけがえのない暮らしというのは、被災者にとって土地と一体となったかけがえのない暮らしがそこにあるということです。土地への愛着、先祖への想い、仕事への誇りなどに裏打ちされた暮らしを、そう簡単に放棄することはできないということです。ところで、そのかけがえのなさは、被災者だけのものではありません。私たち国民全体にとってもかけがえのない公共性のある存在だということです。日本の文化を支える。日本の安全を支える、という大きな役割を果たしているからです。
 高冷地や山間地の特徴を生かした多様な産業が、私たちの豊かな暮らしを支えています。おいしいお米や野菜、果物や魚介などがこうした集落から生み出されています。美しい工芸品や特産物もこうした集落から作り出されているのです。今回の地震でも、山地栽培のイチゴ、清流にすむ岩魚などが、その存続の危機に立たされています。そのほか、美しい自然景観の保全をはかる、観光資源の保持をはかるという役割も果たしています。それだけに、限界集落は私たちにとってもかけがえのない公共的な存在だといえます。
 かけがえのない公共性ということでは、山地や林野の防災に果たす小規模集落の役割を見逃すことができません。最近、地震だけでなく台風や豪雨で山地が崩壊するケースが増えていますが、それは林業の衰退や中山間地集落の消滅と密接に関連しています。林業を通じて山地の管理や保全が図るシステムが失われた結果、地すべりや林野火災さらには河川氾濫などの危険が増えている、ということができます。
 それではどうすれば、限界集落の安全を確保できるのでしょうか。応急的な対策と恒久的な対策とに分けて考えて見ましょう。応急的対策では、災害時に孤立する危険性を解消することが急がれます。まず、孤立しないように道路網や情報網の整備を図ること、次に孤立しても対応できるように自給性や救助性の向上を図ることが欠かせません。道路網の整備では、緊急道路の整備と防災に努めること、情報網の整備では、同報無線や衛星通信の整備を図ること、が欠かせません。また、自給性の向上では、長期孤立にそなえて食料の備蓄や自立エネルギーの確保を図ること、また救助性の向上では、応急対応のためのヘリポートの整備を図ること、が欠かせません。
 それ以上に大切なのは、恒久的対策です。ここでは、人口減少と危険増殖の悪循環を断ち切ることが欠かせません。農業や林業が衰退するから山や川の危険が増大する、産業が衰退し地域の危険が増大するから人口が流出する、人口が流出するから産業が衰退しコミュニテイも衰退するといった、負の連鎖を断ち切らなければなりません。そのためには、第1に都市と農山漁村との日常的な人的交流の仕組みをつくること、第2に農業や林業の再生を国家戦略として図ることです。前者の人事交流では、週末居住や季節居住の仕組みを作って、都会の人々に中山間地居住の機会を与えること、魅力ある就業環境を創って若者や団塊世代に生きがい就業のチャンスを与えることが、求められます。後者の農林業の支援については、山地の防災や食料の自給などに貢献する公共事業の位置づけから、中山間地の生業支援を積極的に図ることが、求められます。
 限界集落の問題を他人事として捉えるのではなく我が事として捉えて、その持続的発展のために支援を惜しんではなりません。

7月15日放送 NHK「視点論点」より

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