<室﨑益輝のつぶやき>
【9.11テロに何を学ぶか?】
7年目の「9.11」を迎えた。このワールドトレードセンターの殺戮で思うことは、平和を求めることと防災に努めることとは、表裏一体あるいは密接不可分な関係にある、ということである。その密接な関係性を構築するのは、「人の生命は何よりも重い」という人類の規範である。生命を大切にするという心がなければ、戦争を回避することも、災害を軽減することも出来ない。戦争が究極の災害であるとすると、防災追求の延長線上に反戦平和があるはずである。また人命尊重が防災の原点であるとすると、平和希求の延長線状に被害軽減があるはずである。ミャンマーのサイクロン災害などを見ていると、平和をないがしろにする国は防災もないがしろにする、と思えてならない。ところで、わが国はどうだろうか?
さて、平和と防災が共通の基盤にあるということで、9.11から防災への教訓を引き出すことを忘れてならない。私は、2つの点でしっかり教訓を学ばなければならない、と考えている。その一つは、消防隊などの現場で救命救助に当たる人々の安全をいかに確保するかという問題である。四川大地震でも、救助隊が途上で地滑りなどに遭遇し数多くの生命が失われたと聞いている。私は、この命を助けようとして命を失うことは、あってはならないと考えているので、真摯に「救援死」の課題を掘り下げて、その回避の道筋を明らかにすることが欠かせない、と思っている。日本でも、消防隊員の殉職死が増えているだけに、とくにそう思う。
ところで問題は、もう一つの教訓である。それは超高層ビルの炎上火災とそれによる崩壊を如何にさけるかという問題である。超高層ビルが崩壊したのは、テロだからとかジェット機だからとか思い込んでしまってはならない。きっかけはともあれ、長時間の大規模燃焼が発生したからビルは崩壊したのであり、多人数を収容する巨大建物だから避難に時間が掛かって逃げおくれたのである。その限りにおいて、テロでなくても発生することであり、超高層ビルのもつ防災上の弱点が示された、と考えなければならない。それゆえに、これまたその回避の道筋を明らかにする努力を怠ってはならない。
というのも、来るべき大地震においては、発生した火災によって9.11と同じことが起きると考えられるからである。わが国の高層ビルの防火設備や消防設備には、法的に耐震化が要求されていない。そのため、阪神大震災の事例を見ても明らかなように、地震時には防火区画は崩壊するし、スプリンクラーは機能しなくなる。その結果として、長時間の大規模延焼が避けられないということになる。9.11を迎えるにあたって、超高層ビルの地震火災対策の緊急性を、老婆心ながら再確認しておきたい。
2008年9月11日